55歳引きこもりおじさんの回顧録

ひきこもりのみなさん、お元気ですか?。私は55才です。母の年金を頼りに生きざるを得ない鬱病の化身です。8050問題の当事者で、86才の母を介護しながら暮らしてます。ジルバップ(ソニーのラジカセ)から『異邦人』という唄が聞こえていた頃、私は中二病にかかって不登校になりました。中二病といってもいろいろでしょうが、私の場合、眉間に『鬱』という一文字が烙印された、ふりかえるとそんな感じです。鬱病を生きて40年となりますが、兼好法師を真似て、ひねもすのたらのたりと、ひきこもり人生を綴ってみたいと思います。

パチスロ依存は自傷行為

8050の最中にいるみんな、ご両親、お元気ですか?私は55才で、86才の母を自宅介護してます。母はアルツハイマ- 型認知症で要介護2です。幸い、父が公務員だったので、 定年退職後、すぐに亡くなりましたが、その遺族年金と、 不動産の貸付料金で、この25年間をすごして来ました。今、社会福祉協議会地域包括支援センターと接点が出来て、今後の生活の方向性を協議してます。母の有料老人ホームへの入所費用は年金で賄えますが、母なき後の私の生活はどうするか?それが、これからの課題です。

30才まで歯科技工士として働けてましたが、持病の鬱病が再発悪化して、それから25年間、働けていません。
今現在も、1日の内、16時間寝ていて、母もほぼ私のそばで寝て暮らしていまします。食事の準備や洗濯しますが、この1ヶ月は、私の持病が悪化して 、母のディサービスも中断し、熱中症で、ふたりして衰弱死する、と覚悟しましたが、甥の支援で、まだまだ生きています。
母の年金で2ヶ月の生活は賄えますが、私のパチスロ依存がでた時 、生活費を使い込み、生活が成立しなくなり、ふたりして、衰弱死しようかと、そんな 状況に追い込まれる、いや、私が自ら追い込んでしまうんです。 これは、母の介護ストレスが溜まると起きて、今回は、1日10時間、14日間、パチスロして、散財後は、心身が疲弊して、甥の食料支援で、ここまで、生きているのです。

パチスロ、みなさんは遊ばれますか?。私にとって、パチスロ自傷行為で、勝ち負けはあまり関係なく、今夜、財布を空にして、雨降る夜道を自転車転がしながら、増水した川に転げ落ちよう。そんな遊び方です。でも、なかなか川に転げ落ちること出来ず、 母の介護という仕事にしがみつき、まだ生きているのです。みんな、そうと思いますが、子供のまま、子供返りして、大人になれぬまま、8050を生きているのかと、そんな気持ちです。 ただ、私も14才の秋に眉間に『鬱』という一文字を烙印されましたから、精神疾患があります。それを、『召し』という、 神様からの賜物だと感じなければ、生きずらいし、 鬱病を生きることが、『仕事』と引き受けないと、生きていられま せんね。私は14才の秋に鬱病となり、2年間ひきこもりましたが 、その闇から救いだしてくれたのが、黎明にみた『青い鳥』 でした。これを、精神疾患の症状のひとつ『幻覚』、 と認識するか、神様の『救い』、と信じるかは、当事者の自由意思 だと思います。私はそれを『天使』だと信じて、ここまで、『 鬱病人生』を歩んできたと、思います。
私がパチスロと出逢ったのは、昭和62年の頃でした。熊本市内の 子飼橋近くにあった『大阿蘇』というパチ屋で、トロピーカーナ7X、という名前のパチスロでした。私は2年遅れで中学を卒業し、スクールカラーがウンチ色の高校に入学しましたが、中途退学して、大検合格、専門学校に入学した のは21才の時でした。中学で2年足踏み、大検は一度の受験で合 格しましたが、60才でガンで他界した父の3年間に及ぶ闘病期間 が、私の18才から21才までで、大学など進めず、仕方なく近所 にあった歯科技工士専門学校に嫌々入学卒業した訳です。

鬱病』ですが、20才から30才までは、あまりその症状に悩まされませんでした。歯科技工士として働けて所得をえて、 自動車も運転してました。巷では、ひきこもり、というと、就労経験などない、字も書けない 、計算も出来ないイメージあると思いますが、そうではありません 。鬱病人生40年の私が思うに、脳、の働きにムラがあり、 それが顕著であると『3年寝太郎』、モードに入ったら、 本当に3年くらい、あっという間に過ぎ去ります。 やっかいな病気だと、思います。

丘の上の中学時代の話から、今日の私の生活、40年近く飛びましたが、なかなか『鬱』という一文字を消そうとしましたが、 消せず、この年で、『鬱人生』を語れるようになりました。
みなさん、『ジャグラー』とか『沖ドキッ‼』を打ってて、告知ランプが変な光り方したこと、ありません?人が遊んでない、パチスロ機の『GoGo』とか『🌺』が突然ピカッた、とか。それは、パチ屋に棲む妖怪の仕業ですよ。私もパチスロ遊戯長いですが、その談義も、また、します。みなさま、しばらく、生きてみましょう。