55歳引きこもりおじさんの回顧録

ひきこもりのみなさん、お元気ですか?。私は55才です。母の年金を頼りに生きざるを得ない鬱病の化身です。8050問題の当事者で、86才の母を介護しながら暮らしてます。ジルバップ(ソニーのラジカセ)から『異邦人』という唄が聞こえていた頃、私は中二病にかかって不登校になりました。中二病といってもいろいろでしょうが、私の場合、眉間に『鬱』という一文字が烙印された、ふりかえるとそんな感じです。鬱病を生きて40年となりますが、兼好法師を真似て、ひねもすのたらのたりと、ひきこもり人生を綴ってみたいと思います。

8050問題、注文の多い理髪店

秋が深まり、大相撲九州場所が終ると、一気に今年もお仕舞いです 。『ひきこもり』とは、秋の日はつるべ落とし、のごとく、 この40年の日々は、あったのか?なかったのか?、 時間感覚なしで、曖昧です。ことに30才からの25年間は、 その時間を計算すると、莫大な時の浪費で、その25年間、 労働していると、かなりの賃金を稼いでいたわけで、 こんな計算が頭をよぎる時、ひきこもり人は、 自殺したい気持ちになると思います。

義務教育で2年間落第し、復学先の中学で、精神科受診をすすめられ、私は眉間に『鬱』という一文字を烙印されました。なぜか、絶望感はありませんでした。その『鬱』をどう引き受け生きるか?それが、私の人生となりました。
下通アーケードに『マツモトレコード』というレコード店があり、 『夢の途中』という、来生たかお、の唄が店先から聞こえていまし た。私は中央街に迷いこみ、『ジャンポール鍵屋』 の風呂焚き爺さんと語り合ったり、巷でいう、妖怪達と親しくなり ました。『エメラルド皇帝』の傍に三角公園があり、『 まぐだら屋』という理髪店のドアノブをまわしたのは、 中学3年の9月、朔月🌑の夜のことでした。

自殺の前に、髪をととのえる。そんな願いをかなえてくれたのが、 ソープ街のネオンの靄が微かにかかる、そのすきに、朔月🌑の夜だけ、姿をあらわす理髪店でした。真鍮色のドアノブを回すと、梁にランプが灯り、淡い光の中に、理髪椅子が一脚ありました。窓ガラスにネオンが映り、窓辺で紫煙を燻らすのが、『まぐだら屋』の女主人・マリヤさんでした。🍃あらぁ、まぁ┐('~`;)┌、まだ、若いのに、自殺したいの 😣マリアは、私の瞳をのぞきこみ、髪を掻き上げると、その鷲鼻からスーッと、煙をぬきました。窓辺のもうひとつの影は、ビニールソファに掛け、レコード盤を磨く、髪結い亭主で、もう数百年も女理髪師のヒモ をやっている、龍之介さんでした。教会を改築したのか?、高い天井に小窓があり、理髪椅子に掛けると、天界にちらばる星が、綺麗でした。やや緑がかった鏡に、窓辺でタバコをふかす、マリアの顔が映り 、散髪前に、もう一服紫煙を燻らす、その煙の透きに、 髪をかき上げる、素肌にタンクトップだけの、その筋肉質の腕の 窪み、鮫色の腋下に馨ったのは、懐かしい、新約聖書の中で出逢っ た、たしか、灼熱の太陽のもとで、サマリアという町中で、昼下がり、誰もいない井戸端で、水くみする、浅黒い肌の女の腋から馨った匂いと同じ、異邦の町の香りでした 。マリヤはタバコを灰皿でもみ消すと、白衣を纏い、肩ボタンを3つ止めてひとつだけ外しました。シャカシャカと白磁の鉢でシャボン を泡立て、髭ソリにそなえる。豚毛がアゴをまぶす。目の縁で、モミアゲでシャボンがはね、耳朶 でシャボン玉がプチプチとはじく。頸動脈で、カミソリの刃先が、 私の息を止め、その鋼の面に、私の瞳が映りこみました。カミソリの刃の匂いに、私は遠い未来をみた。今の自分、8050 の当事者として、老いた母の下の世話をする55才の私がそこにいました。『不登校』が『登校拒否』と呼ばれた時代、私は県内で確認され た数十ぴきの、ネガティブ不良の初穂であった訳ですが、あの夜、私は40年後の自分をカミソリの面に見たのです。カミソリで頸動脈を牽かれると、私の骸は闇に葬られ、自殺することなしに、中央街の地下にあるという、カタコンベに埋葬されるという、約束ごと 。行方不明者として、私は扱われ、この世から抹殺される予定でした 。

私は、除籍、排除、村八分、あだばな、そんな言葉を浴びせられてきました。カミソリの熱さと重みが、私の首筋から消え、蒼白な顔に赤みが戻 る🌈。頸動脈が、脈うち始める。生きる、は本能であり、神様は、私を愛しておられる。『まぐだら 屋』の女理髪師・マリヤは、カミソリの刃で、命の本質を示してくれ ました。死に急ぐ🚄💨必要はない。窓辺のソファで、 髪結い亭主がのたもうた。カタカタと小気味良く理髪椅子のペダルがなき、私のよみがえりが 、やや緑がかった鏡に映りこんだ。人は日々に死に復活し生きている。信仰とは、生きること。日々に死んでよみがえり、明日を迎え、 聖書世界を追体験、実体験しながら、おのおの人生を歩く。17才の私は、今も生きて働きたもう、神様とその仲間と出逢っ た気がしました。みなさん、ひきこもり人として、衰弱死しても、 その時間軸に神様は添い寝され、私たちを愛しておられる。自殺と は、悪魔の甘い吐息に幻惑されること。晩秋は心が沈み、枯れ葉散 る夕暮れ、そのセピア色に心なじんで、つい、逝ってしまう、 危うい季節だと思います。空気が凍ると、心も凍り、 魂の波動も安定し、死にたい、という不整脈も落ち着くと思います 。じゃ、また👋😆💕