55歳引きこもりおじさんの回顧録

ひきこもりのみなさん、お元気ですか?。私は55才です。母の年金を頼りに生きざるを得ない鬱病の化身です。8050問題の当事者で、86才の母を介護しながら暮らしてます。ジルバップ(ソニーのラジカセ)から『異邦人』という唄が聞こえていた頃、私は中二病にかかって不登校になりました。中二病といってもいろいろでしょうが、私の場合、眉間に『鬱』という一文字が烙印された、ふりかえるとそんな感じです。鬱病を生きて40年となりますが、兼好法師を真似て、ひねもすのたらのたりと、ひきこもり人生を綴ってみたいと思います。

8050問題、奇妙な果実、自殺した人々の記憶

ビリー・ホリディの唄に『strange fruit』という楽曲ありますね。8050のみなさん、まだお元気ですか?鬱病も深い浅いの症状はありますね。台風10号の被害はあまりなく、風呂にあまり入らなかったせいか、金玉が爛れ、脱脂綿に消毒薬をひたし、玉々の手入れをしいます。鬱蒼とした庭の手入、 剪定ハサミの刃研ぎをして、低木を剪定して3日めです。 フラフラしますが、毎日2時間ほど、2ヶ月ほど体を動かせば、475坪の庭もさっぱりします。明日から、NHKのみんなの体操をHDに録画して、準備体操して、怪我をしないように心がけます。原川愛さん、体操のお姉さんの中で、ベストですよね。 みなさんは、舘野さん、矢作さんです?。もしかして、ピアノ🎹 の幅しげみ、さんですか?さてさて、今夜は、中央街の『まぐだら屋』という理髪店、やや緑がかった鏡の中で見た、『奇妙な果実』について、語りたいと思います。

17才の私は、自殺前に、散髪しに中央街の理髪店のドアノブを回しました。『まぐだら屋』の女理髪師マリヤは、カミソリで私の頸動脈を牽こうとしましたが、その刃に映る私の魂をのぞきみ、生きることをすすめてくれました。鬱病患者は自殺する。そんなのは迷信で、精神疾患でも、その闇の中で、一筋の光に出逢うと、時間軸も変わります。カイロスという時間が動き始めると、悪魔もその姿をひそめるものです。

ただ、『まぐだら屋』という理髪店で手渡される黒革のメニュー表がありました。自殺メニューも色々とあり、首吊りが人気でした。やや緑がかった鏡の中に、理髪店の梁に縄を投げて、ジャンプを数冊かさね自殺する、憐れな中年男の姿がそこにありました。

あの夏☀🌊🍉、17才の私は、40年後の自分の姿をみました。昭 和57年、8050問題という言葉はなく、登校拒否児童のなれの果て、など想像だにしない、いえ、あの当時は、不登校、ひきこもりは、精神疾患者として扱われ、精神病院に入院、 そこに入ると社会に戻れない。あの時代は、そんなもので、また、 家族から、精神疾患者がでたことは、一族の恥という偏見があり、 多くの親が我が子を自宅に閉じ込め、それが長期化して、40年、 50年のひきこもり、となっているが現実だと思います。あの夏、17才の私の眉間に『鬱』という一文字が烙印されました 。父は、私を社会から隔離する、精神科入院はさせませんでした。

父は大正15年生まれで、ヨハネ福音書が愛読書でした。1945 年、日米対戦の終焉に熊本高等専門学校(現熊本大学工学部) を卒業し、就職せず、自宅の農地で食料を生産して、戦後の食糧難 を乗り越えた人でした。兄弟の中で、3人は医師となり、 父は30才前に市役所にもぐりこみ、今でいう、 フリーターをへて、兄弟の力で公務員になれた人でした。 その父が、私が中学時代、その2年間のひきこもり時代に、私が書物を乱読していた時、芥川龍之介の『歯車』という短編小説をよみ、その感想を父と語り合いましたが、精神が乱れ、脳が痺れ、心身が破綻していく様子、 父と私は共感しました。
父も青年期に精神を病んだ人でした。父は癌で60才で亡くなりま したが、私は現在55才ですが、『自殺』という選択肢を、みずか ら手繰り寄せている感は否めません。8050の当事者として生活してますが、私の心情を察する母の言 葉、『私が、あんたをみとる。』。なにか、そんな母の言葉に背中を押され、理髪店の梁に縄を投げて 、首吊りする私を、あの夏、風俗街の理髪店の鏡に見たの気がします。

人は、女の胎から生まれおちます。魂の表層、意識を形作るのは、母の言葉、だと感じます。
86才の母の言葉を耳にする時、その優しさにアーメンとうなずきますが、同時に、55才の私が、まだ、母のかいなで生きていて、そのそら恐ろしさに、首吊りしたくな るのです。8050の最中にいる皆さんは、いかがでしょうか
?こんな私の心情、共感しますか?。芥川龍之介の『歯車』、太宰修の『とかとんとん』、私も実感として共感できる季節となりました。そして、荒野の樹にぶら下がる奇妙な果実は、砂嵐にふかれ、腐敗し、蛆虫がわき 、ドクロ💀が風にカラコロと鳴き、地獄に道づれ、闇の中に暮らす 人々を、その命を地獄へとひきずりこむ道標、となる。 悪魔の手先となる為に、自分は生まれたのか。悲しいですよね。 皆さんは、もうしばらく生き、悪魔の甘い吐息に、十字をきり、間をおいてみましょう。旧約聖書詩篇23は、私た ちの脳を牧場に遊ばせ、そのきしめきを整え、神様のかいなで休ませてくれると思います 。エレファントマンネリも、その詩を諳じました。 情報過多の時代、神様との対話、宇宙との対話、ひとりで、 呼吸を整え、悪魔の囁きに戸惑う時は、 神様に祈り救いを求めましょう。じゃ👋😃