55歳引きこもりおじさんの回顧録

ひきこもりのみなさん、お元気ですか?。私は55才です。母の年金を頼りに生きざるを得ない鬱病の化身です。8050問題の当事者で、86才の母を介護しながら暮らしてます。ジルバップ(ソニーのラジカセ)から『異邦人』という唄が聞こえていた頃、私は中二病にかかって不登校になりました。中二病といってもいろいろでしょうが、私の場合、眉間に『鬱』という一文字が烙印された、ふりかえるとそんな感じです。鬱病を生きて40年となりますが、兼好法師を真似て、ひねもすのたらのたりと、ひきこもり人生を綴ってみたいと思います。

自殺という芽生え

秋雨があがり、私の庭も清々しさが増して来ました。8050諸君 、美空ひばり、曰く、それも人生です。2年遅れで中学3年に復学した私は、夏休みの課題として精神衛生センターの受診を命じられました。 丘の上の中学、学年主任からのアドバイスでした。以前、お話 ししましたが、その夏🏄☀🍧、眉間に『鬱』という一文字を烙印されて、私の『鬱病人生』が始まった訳です。今回は、『まぐだら屋』という、理髪店💈のお話しです。

熊本市内には、中央街というソープ街がありました。辛島町電停で路面電車を降りると、新市街アーケードがあり、下通アーケードに繋がる十字路を直進左折すると、以前、お話しした、『ジャンポール鍵屋』 などソープ街が拡がるのです。ソープ街に寄生する年増の街娼は、 『エメラルド皇帝』に隣接する三角公園の襞に身をかくし、客引きしていました。ス トーリープレーを十八番とする『ジャンポール鍵屋』のキャストの ひとり、ナナ姐さんも、普段はそこで紫煙を燻らせました。このネオンの靄のすき間に、朔月の夜だけ、営業する『まぐたら屋』という理髪店があったのです。眉間の『鬱』がうずき始めると、その痛みが消えかかると、私は、自殺したい、そんな気持ちになりました。鬱の最中にいる時は、自殺する気力も起きません。寛解期に、社会から剥離した自分にそら恐ろしくなり、だいたい、黎明、真夏なら朝陽が朝靄を曳く時間ですが、魂が溶け落ち、消えそうにな り、自殺する準備を始めるのです。私は17才の夏、中学3年生の秋、そんな気持ちが顕著になりました。2学期始め県下一斉テスト を受け、カラスがカァーっと鳴き、私の脳のどこら辺か、 回路がオフとなり、活動能力が低下し、『寝太郎』 に変身しました。その後、2学期中間テストを受けに登校するまで 、欠席しました。『鬱明け』した時、学校から剥離した自分にそら恐ろしくなり、また幽霊👻扱いされる自分にキン玉、縮みました。

あの頃、私の他にも義務教育で落第した同士はいました。居場所、ひきこもりには、なかった。そんな時代です。横浜銀蝿みたいになれず、ネガティブな不良が、不登校、やがて、社会との接点なくして、自宅に閉じこもる、ひきこもり、と進化していったと 思います。それが長びき、ネガティブ不良のなれの果てに、 8050という烙印を押され、解決の糸口見つからず、死ぬまで、 ひきこもる、以外に解決策なし。私はあの秋、『まぐだら屋』の女 理髪師から散髪してもらい、投身自殺を図ろうと思いました。富士山麓青木ヶ原という自殺の名所ありますが、熊本市内にも 、熊本城に通じる『新掘橋』という高架橋があり、その橋がダイブ の名所になっていました。

今、初秋ですが、これから、五輪真弓の声が似合う、晩秋となりま す。私もドアノブ首吊り自殺、そんな誘いは、ありますよ。季節の境には、悪魔の吐息が香り、ひきこもり、という失われた時間が、脳に重くのし掛かります。 中島美嘉の声は真冬っぽく、私は好きで、『雪の華』を聞いて、みんな、そんな魂の揺れを凍らせましょう。
みんな、自殺はよしましょう。昭和57年の初秋、風俗街の理髪店 、その真鍮色のドアノブを回し、奇妙な果実を見ました。また、 次回に👋