55歳引きこもりおじさんの回顧録

ひきこもりのみなさん、お元気ですか?。私は55才です。母の年金を頼りに生きざるを得ない鬱病の化身です。8050問題の当事者で、86才の母を介護しながら暮らしてます。ジルバップ(ソニーのラジカセ)から『異邦人』という唄が聞こえていた頃、私は中二病にかかって不登校になりました。中二病といってもいろいろでしょうが、私の場合、眉間に『鬱』という一文字が烙印された、ふりかえるとそんな感じです。鬱病を生きて40年となりますが、兼好法師を真似て、ひねもすのたらのたりと、ひきこもり人生を綴ってみたいと思います。

異人たちとの夏

ひきこもりのみなさん、9月になりました。ジルバップ(ソニーのラジカセ)から、竹内まりやの『セプテンバー』が聞こえる頃、 私の眉間の『鬱』はうずき始めました。鬱には周期があり、 私の場合、14才の頃も、55才の今も、その周期は変わりません 。

丘の上の中学3年生に17才で復学した私は、夏休み明けの県下一斉テストを受けた後に、また、長期の欠席となりました。季節の変わり目に、鬱はうずき始めると思います。
『異人たちの夏』という大林宣彦監督の作品ありますが、私は中央街(熊本のソープ街)のネオンの靄の隅で、あの夏、異界のドアノブを回してしまったのです。それが幻覚か現実かは、皆さまの判断にまかせます。精神科医の手で眉間に『鬱』という一文字を烙印された昭和57年の夏、少年の瞳に映った風俗街の夜色を、徒然にお話しします。

ジャンポール鍵屋のボイラー係、八雲という名前の爺さんは、売れない小説家で、安ホテルの風呂焚き係りで生活してました。眠れない夜、私はアパートをぬけだし、自転車で風俗街に出掛けました。ジャンポール鍵屋の地下室の片隅で、私は爺さんに薪を手渡すことが楽しみとなりました。『通夜の間』『よろず屋』『家庭訪問の間』『洗濯干し場』『おまかせの間』という5部屋があり、八雲爺さんの脚本によって、夜毎、おのおの部屋で、卑猥な男女の情交が絵巻物として描かれていました。

爺さんに、私は田舎でひきこもっていた頃の話をポチポチ、語りました。優等生の息切れ型不登校、これが教育委員会が私し下した評定でした。陸上競技の練習で半月板損傷し、その痛みで眠れなくなり、体重が40㎏以下に落ち、中2の中体連後に不登校になった私ですが、 今、思えば体育教師のおもちゃにされた、という思いです。 100㍍、200㍍、走り幅跳び、走り高跳、 たまたま学年でその記録が1、2番だったが故に、 陸上競技大会選手にかり出され、体力許容量以上の負荷をかけられ 、過労で倒れた。それが、不登校の原因であり、鬱の始まりでした。何事も無理は禁物です。
夜、8時すぎ、グラウンドでの練習を終えて、3㎞離れた自宅に帰る私の姿が父兄の目に留まり、少年の健康を心配した父兄の一人が、駅通りで医院を営む伯父に、その様子を伝えました。心配した伯父は、父母にその話をしに訪問しましたが、『先生に小言を言うと、内申書にひびく』、それが、母の返答でした。父は大正15年、母は昭和8年生まれですが、あの当事、金属バットで両親を殺害した事件がありましたが、昭和50年代、学歴信仰は田園地帯にも浸透し、『内申書』という切り札に、生徒も父兄も怯えていたことは間違いありません。

『星の王子様』という児童文学がありますが、幼少時代の記憶は人生の礎で、どんなパン種を心にまかれたのか?、それは、大切なことになると思います。ひきこもりの中で、『青い鳥』に導かれ、闇をぬけだした経験を話しましたが、私はそれを、神様が私の心にまいたパン種だと信じたいです。幻覚だとは、思いたくない。

八雲爺さんは顧客から手渡されたシナリオに朱を入れて、猥褻な絵巻物に仕上げようと獅子奮闘してました。目の底を光らせ、 原稿と格闘してました。その夜は、ジャンポール鍵屋の『 通夜の間』に、黒衣の弔問客が訪れ、丑三つの頃になって、 ようやく、遺影の前には、喪服の七菜さんと、 顧客である弔問客の二人の姿が、夏目蝋燭の炎にあぶられ、 畳の上で影となり揺れていました。遺影の中で、二人の関係を訝る故人。喪服の妻と部下の情交を、八雲爺さんは、夏目蝋燭の炎を巧みにつかい描いてみせたのです。

街ホタルの七菜さんは、7つの悪霊を持つ娼婦と呼ばれました。マグダラのマリアという女が聖書に登場しますが、あの夏、私は七菜さんにマグダラを感じました。その夜、七菜さんは黒衣を身に纏い、喪主という役柄でお客をひき ました。喪服の衿を深く抜き、その首筋ではねるのはおくれ毛でした。首筋 に手指をからめるその横顔は、女優の宮本信子を彷彿とさせました 。遺影の中の上司に、顧客の男は一礼すると、線香をたむけました。

『ニューシネマ・パラダイス』という、映写技師と少年の交流を描 いた作品がありますが、17才の私は、ジャンポール鍵屋という婬売宿の風呂焚き助手と して、いくつかの卑猥な絵巻を、鍵穴から覗いたのです。

 今日、社協の8050担当のAさんが家庭訪問されました。母の施設入所について、私の今後の生活について語り合いました。話した後、廊下の綿ホコリが目に留まり、箒がけし、クイックルワイパーをかけました。人と繋がると、元気が少しでますが、雲に閉ざされた不毛地帯に 、忘れていたように、雲の切れ目から射す太陽の光みたいで、訪問客と話すということはヒナタボッコで、風がふくと、人が去ると、また、ひきこもりの棲みかは闇に閉ざされてしまい、時が止まって しまいますが。みなさん、体内時計壊れて久しいと思います。ドイツの文豪に、トーマス・マンという作家がいて、『魔の山』という作品があります。病気、障害を持ち、山の中のサナトリュウムに隔離され生活する 人々の物語ですが、ひきこもりも、 自宅に隔離された人々であると、私は感じます。今、 1年が1ヶ月という時の感覚で過ぎています。これは、怖いことで 、社会から剥離したひきこもり人は、社会の時の歯車から排除され 、やがて、食欲という本能も薄れて、最後は、衰弱死する。 そんな感じがします。
ひきこもりも皆さん、社会の何処かとは繋がりましょう。つかの間でも、社会の光、人と言葉を交わせましょう。じゃ👋😃