55歳引きこもりおじさんの回顧録

ひきこもりのみなさん、お元気ですか?。私は55才です。母の年金を頼りに生きざるを得ない鬱病の化身です。8050問題の当事者で、86才の母を介護しながら暮らしてます。ジルバップ(ソニーのラジカセ)から『異邦人』という唄が聞こえていた頃、私は中二病にかかって不登校になりました。中二病といってもいろいろでしょうが、私の場合、眉間に『鬱』という一文字が烙印された、ふりかえるとそんな感じです。鬱病を生きて40年となりますが、兼好法師を真似て、ひねもすのたらのたりと、ひきこもり人生を綴ってみたいと思います。

55歳おじさん、ひきこもりの最中で、86才の母を入浴介助する。

台風が接近していますが、8050の皆さま、いかがお過ごしでしょうか?お彼岸をすぎて
、春花壇用の草花の種をまこうと思います。庭仕事は、心のお薬だと思います😸
車輪の下』という作品がありますが、私はドイツの文豪ヘルマン ・ヘッセという作家の人生に共感します。『地獄は克服できる』というヘッセのエッセイがありますが、『地獄』とは精神疾患みたい です。ヘッセの妻も、精神疾患であったと語られますが、病気も神様からの賜物だと感じる様になると、また、心病んでも、新たな人生の扉がひらく、そう信じないと、ひきこもり、という澱みの中で 、右往左往するだけで、光の世界に入れないと感じます。

平成29年、母は(現在86才)要介護2と認定されました。アルツハイマー認知症で、自宅介護が基本で、週2回のディケアサービスを利用して、今日までやって来ました。父は昭和62年、癌で他界しました。

私の持病で、被害妄想が強くなると、介護関係者との応対が苦痛となり、ディケアを中断することが、年に数回あります。今回は、7月からディケアを中断し、自宅だけで母の介護をしていますが、入浴介助も私がこなし、昨日、社協の担当者が家庭訪問されましたが、母の様子も確認されました。

私が働けなく、生活の糧は月に16万円の年金と、農地がありまして、その不動産を現金化して、母を施設入所させて、私が身軽になる、 という現況打開策です。母の施設入所費用は年金で支払えます。母なき後、私の生活をど うするか?私は自殺することを考えます。30才で鬱病が再発し 、この25年間のひきこもり生活の中で、所得と言えるのは、 パチスロで稼いだ利鞘、それしか見当たりません。この癖が、近年、生活を脅かします。パチスロについては、また、次回、 お話しします。

8050の最中のみなさん、 あと数年すれば還暦です。ひきこもり、を職業と考えると、もうすぐ定年退職だということです。自殺のトリガーをひくタイミング、 みなさんも、その時を探してきたと思いますが、風俗街のジャンポ ール鍵屋の八雲爺さんが言ってましたが、未来、希望は、この地球上のあちこちに、いくらでも落ちている そうで、それを、落ち穂とか言の葉、というそうです。 神様の贈り物は、気づきにくく、五感でとらえにくい。 探さなくちゃ、そんな気持ちです。