55歳引きこもりおじさんの回顧録

ひきこもりのみなさん、お元気ですか?。私は55才です。母の年金を頼りに生きざるを得ない鬱病の化身です。8050問題の当事者で、86才の母を介護しながら暮らしてます。ジルバップ(ソニーのラジカセ)から『異邦人』という唄が聞こえていた頃、私は中二病にかかって不登校になりました。中二病といってもいろいろでしょうが、私の場合、眉間に『鬱』という一文字が烙印された、ふりかえるとそんな感じです。鬱病を生きて40年となりますが、兼好法師を真似て、ひねもすのたらのたりと、ひきこもり人生を綴ってみたいと思います。

8050問題、奇妙な果実、自殺した人々の記憶

ビリー・ホリディの唄に『strange fruit』という楽曲ありますね。8050のみなさん、まだお元気ですか?鬱病も深い浅いの症状はありますね。台風10号の被害はあまりなく、風呂にあまり入らなかったせいか、金玉が爛れ、脱脂綿に消毒薬をひたし、玉々の手入れをしいます。鬱蒼とした庭の手入、 剪定ハサミの刃研ぎをして、低木を剪定して3日めです。 フラフラしますが、毎日2時間ほど、2ヶ月ほど体を動かせば、475坪の庭もさっぱりします。明日から、NHKのみんなの体操をHDに録画して、準備体操して、怪我をしないように心がけます。原川愛さん、体操のお姉さんの中で、ベストですよね。 みなさんは、舘野さん、矢作さんです?。もしかして、ピアノ🎹 の幅しげみ、さんですか?さてさて、今夜は、中央街の『まぐだら屋』という理髪店、やや緑がかった鏡の中で見た、『奇妙な果実』について、語りたいと思います。

17才の私は、自殺前に、散髪しに中央街の理髪店のドアノブを回しました。『まぐだら屋』の女理髪師マリヤは、カミソリで私の頸動脈を牽こうとしましたが、その刃に映る私の魂をのぞきみ、生きることをすすめてくれました。鬱病患者は自殺する。そんなのは迷信で、精神疾患でも、その闇の中で、一筋の光に出逢うと、時間軸も変わります。カイロスという時間が動き始めると、悪魔もその姿をひそめるものです。

ただ、『まぐだら屋』という理髪店で手渡される黒革のメニュー表がありました。自殺メニューも色々とあり、首吊りが人気でした。やや緑がかった鏡の中に、理髪店の梁に縄を投げて、ジャンプを数冊かさね自殺する、憐れな中年男の姿がそこにありました。

あの夏☀🌊🍉、17才の私は、40年後の自分の姿をみました。昭 和57年、8050問題という言葉はなく、登校拒否児童のなれの果て、など想像だにしない、いえ、あの当時は、不登校、ひきこもりは、精神疾患者として扱われ、精神病院に入院、 そこに入ると社会に戻れない。あの時代は、そんなもので、また、 家族から、精神疾患者がでたことは、一族の恥という偏見があり、 多くの親が我が子を自宅に閉じ込め、それが長期化して、40年、 50年のひきこもり、となっているが現実だと思います。あの夏、17才の私の眉間に『鬱』という一文字が烙印されました 。父は、私を社会から隔離する、精神科入院はさせませんでした。

父は大正15年生まれで、ヨハネ福音書が愛読書でした。1945 年、日米対戦の終焉に熊本高等専門学校(現熊本大学工学部) を卒業し、就職せず、自宅の農地で食料を生産して、戦後の食糧難 を乗り越えた人でした。兄弟の中で、3人は医師となり、 父は30才前に市役所にもぐりこみ、今でいう、 フリーターをへて、兄弟の力で公務員になれた人でした。 その父が、私が中学時代、その2年間のひきこもり時代に、私が書物を乱読していた時、芥川龍之介の『歯車』という短編小説をよみ、その感想を父と語り合いましたが、精神が乱れ、脳が痺れ、心身が破綻していく様子、 父と私は共感しました。
父も青年期に精神を病んだ人でした。父は癌で60才で亡くなりま したが、私は現在55才ですが、『自殺』という選択肢を、みずか ら手繰り寄せている感は否めません。8050の当事者として生活してますが、私の心情を察する母の言 葉、『私が、あんたをみとる。』。なにか、そんな母の言葉に背中を押され、理髪店の梁に縄を投げて 、首吊りする私を、あの夏、風俗街の理髪店の鏡に見たの気がします。

人は、女の胎から生まれおちます。魂の表層、意識を形作るのは、母の言葉、だと感じます。
86才の母の言葉を耳にする時、その優しさにアーメンとうなずきますが、同時に、55才の私が、まだ、母のかいなで生きていて、そのそら恐ろしさに、首吊りしたくな るのです。8050の最中にいる皆さんは、いかがでしょうか
?こんな私の心情、共感しますか?。芥川龍之介の『歯車』、太宰修の『とかとんとん』、私も実感として共感できる季節となりました。そして、荒野の樹にぶら下がる奇妙な果実は、砂嵐にふかれ、腐敗し、蛆虫がわき 、ドクロ💀が風にカラコロと鳴き、地獄に道づれ、闇の中に暮らす 人々を、その命を地獄へとひきずりこむ道標、となる。 悪魔の手先となる為に、自分は生まれたのか。悲しいですよね。 皆さんは、もうしばらく生き、悪魔の甘い吐息に、十字をきり、間をおいてみましょう。旧約聖書詩篇23は、私た ちの脳を牧場に遊ばせ、そのきしめきを整え、神様のかいなで休ませてくれると思います 。エレファントマンネリも、その詩を諳じました。 情報過多の時代、神様との対話、宇宙との対話、ひとりで、 呼吸を整え、悪魔の囁きに戸惑う時は、 神様に祈り救いを求めましょう。じゃ👋😃

8050問題、注文の多い理髪店

秋が深まり、大相撲九州場所が終ると、一気に今年もお仕舞いです 。『ひきこもり』とは、秋の日はつるべ落とし、のごとく、 この40年の日々は、あったのか?なかったのか?、 時間感覚なしで、曖昧です。ことに30才からの25年間は、 その時間を計算すると、莫大な時の浪費で、その25年間、 労働していると、かなりの賃金を稼いでいたわけで、 こんな計算が頭をよぎる時、ひきこもり人は、 自殺したい気持ちになると思います。

義務教育で2年間落第し、復学先の中学で、精神科受診をすすめられ、私は眉間に『鬱』という一文字を烙印されました。なぜか、絶望感はありませんでした。その『鬱』をどう引き受け生きるか?それが、私の人生となりました。
下通アーケードに『マツモトレコード』というレコード店があり、 『夢の途中』という、来生たかお、の唄が店先から聞こえていまし た。私は中央街に迷いこみ、『ジャンポール鍵屋』 の風呂焚き爺さんと語り合ったり、巷でいう、妖怪達と親しくなり ました。『エメラルド皇帝』の傍に三角公園があり、『 まぐだら屋』という理髪店のドアノブをまわしたのは、 中学3年の9月、朔月🌑の夜のことでした。

自殺の前に、髪をととのえる。そんな願いをかなえてくれたのが、 ソープ街のネオンの靄が微かにかかる、そのすきに、朔月🌑の夜だけ、姿をあらわす理髪店でした。真鍮色のドアノブを回すと、梁にランプが灯り、淡い光の中に、理髪椅子が一脚ありました。窓ガラスにネオンが映り、窓辺で紫煙を燻らすのが、『まぐだら屋』の女主人・マリヤさんでした。🍃あらぁ、まぁ┐('~`;)┌、まだ、若いのに、自殺したいの 😣マリアは、私の瞳をのぞきこみ、髪を掻き上げると、その鷲鼻からスーッと、煙をぬきました。窓辺のもうひとつの影は、ビニールソファに掛け、レコード盤を磨く、髪結い亭主で、もう数百年も女理髪師のヒモ をやっている、龍之介さんでした。教会を改築したのか?、高い天井に小窓があり、理髪椅子に掛けると、天界にちらばる星が、綺麗でした。やや緑がかった鏡に、窓辺でタバコをふかす、マリアの顔が映り 、散髪前に、もう一服紫煙を燻らす、その煙の透きに、 髪をかき上げる、素肌にタンクトップだけの、その筋肉質の腕の 窪み、鮫色の腋下に馨ったのは、懐かしい、新約聖書の中で出逢っ た、たしか、灼熱の太陽のもとで、サマリアという町中で、昼下がり、誰もいない井戸端で、水くみする、浅黒い肌の女の腋から馨った匂いと同じ、異邦の町の香りでした 。マリヤはタバコを灰皿でもみ消すと、白衣を纏い、肩ボタンを3つ止めてひとつだけ外しました。シャカシャカと白磁の鉢でシャボン を泡立て、髭ソリにそなえる。豚毛がアゴをまぶす。目の縁で、モミアゲでシャボンがはね、耳朶 でシャボン玉がプチプチとはじく。頸動脈で、カミソリの刃先が、 私の息を止め、その鋼の面に、私の瞳が映りこみました。カミソリの刃の匂いに、私は遠い未来をみた。今の自分、8050 の当事者として、老いた母の下の世話をする55才の私がそこにいました。『不登校』が『登校拒否』と呼ばれた時代、私は県内で確認され た数十ぴきの、ネガティブ不良の初穂であった訳ですが、あの夜、私は40年後の自分をカミソリの面に見たのです。カミソリで頸動脈を牽かれると、私の骸は闇に葬られ、自殺することなしに、中央街の地下にあるという、カタコンベに埋葬されるという、約束ごと 。行方不明者として、私は扱われ、この世から抹殺される予定でした 。

私は、除籍、排除、村八分、あだばな、そんな言葉を浴びせられてきました。カミソリの熱さと重みが、私の首筋から消え、蒼白な顔に赤みが戻 る🌈。頸動脈が、脈うち始める。生きる、は本能であり、神様は、私を愛しておられる。『まぐだら 屋』の女理髪師・マリヤは、カミソリの刃で、命の本質を示してくれ ました。死に急ぐ🚄💨必要はない。窓辺のソファで、 髪結い亭主がのたもうた。カタカタと小気味良く理髪椅子のペダルがなき、私のよみがえりが 、やや緑がかった鏡に映りこんだ。人は日々に死に復活し生きている。信仰とは、生きること。日々に死んでよみがえり、明日を迎え、 聖書世界を追体験、実体験しながら、おのおの人生を歩く。17才の私は、今も生きて働きたもう、神様とその仲間と出逢っ た気がしました。みなさん、ひきこもり人として、衰弱死しても、 その時間軸に神様は添い寝され、私たちを愛しておられる。自殺と は、悪魔の甘い吐息に幻惑されること。晩秋は心が沈み、枯れ葉散 る夕暮れ、そのセピア色に心なじんで、つい、逝ってしまう、 危うい季節だと思います。空気が凍ると、心も凍り、 魂の波動も安定し、死にたい、という不整脈も落ち着くと思います 。じゃ、また👋😆💕

自殺という芽生え

秋雨があがり、私の庭も清々しさが増して来ました。8050諸君 、美空ひばり、曰く、それも人生です。2年遅れで中学3年に復学した私は、夏休みの課題として精神衛生センターの受診を命じられました。 丘の上の中学、学年主任からのアドバイスでした。以前、お話 ししましたが、その夏🏄☀🍧、眉間に『鬱』という一文字を烙印されて、私の『鬱病人生』が始まった訳です。今回は、『まぐだら屋』という、理髪店💈のお話しです。

熊本市内には、中央街というソープ街がありました。辛島町電停で路面電車を降りると、新市街アーケードがあり、下通アーケードに繋がる十字路を直進左折すると、以前、お話しした、『ジャンポール鍵屋』 などソープ街が拡がるのです。ソープ街に寄生する年増の街娼は、 『エメラルド皇帝』に隣接する三角公園の襞に身をかくし、客引きしていました。ス トーリープレーを十八番とする『ジャンポール鍵屋』のキャストの ひとり、ナナ姐さんも、普段はそこで紫煙を燻らせました。このネオンの靄のすき間に、朔月の夜だけ、営業する『まぐたら屋』という理髪店があったのです。眉間の『鬱』がうずき始めると、その痛みが消えかかると、私は、自殺したい、そんな気持ちになりました。鬱の最中にいる時は、自殺する気力も起きません。寛解期に、社会から剥離した自分にそら恐ろしくなり、だいたい、黎明、真夏なら朝陽が朝靄を曳く時間ですが、魂が溶け落ち、消えそうにな り、自殺する準備を始めるのです。私は17才の夏、中学3年生の秋、そんな気持ちが顕著になりました。2学期始め県下一斉テスト を受け、カラスがカァーっと鳴き、私の脳のどこら辺か、 回路がオフとなり、活動能力が低下し、『寝太郎』 に変身しました。その後、2学期中間テストを受けに登校するまで 、欠席しました。『鬱明け』した時、学校から剥離した自分にそら恐ろしくなり、また幽霊👻扱いされる自分にキン玉、縮みました。

あの頃、私の他にも義務教育で落第した同士はいました。居場所、ひきこもりには、なかった。そんな時代です。横浜銀蝿みたいになれず、ネガティブな不良が、不登校、やがて、社会との接点なくして、自宅に閉じこもる、ひきこもり、と進化していったと 思います。それが長びき、ネガティブ不良のなれの果てに、 8050という烙印を押され、解決の糸口見つからず、死ぬまで、 ひきこもる、以外に解決策なし。私はあの秋、『まぐだら屋』の女 理髪師から散髪してもらい、投身自殺を図ろうと思いました。富士山麓青木ヶ原という自殺の名所ありますが、熊本市内にも 、熊本城に通じる『新掘橋』という高架橋があり、その橋がダイブ の名所になっていました。

今、初秋ですが、これから、五輪真弓の声が似合う、晩秋となりま す。私もドアノブ首吊り自殺、そんな誘いは、ありますよ。季節の境には、悪魔の吐息が香り、ひきこもり、という失われた時間が、脳に重くのし掛かります。 中島美嘉の声は真冬っぽく、私は好きで、『雪の華』を聞いて、みんな、そんな魂の揺れを凍らせましょう。
みんな、自殺はよしましょう。昭和57年の初秋、風俗街の理髪店 、その真鍮色のドアノブを回し、奇妙な果実を見ました。また、 次回に👋

パチスロ依存は自傷行為

8050の最中にいるみんな、ご両親、お元気ですか?私は55才で、86才の母を自宅介護してます。母はアルツハイマ- 型認知症で要介護2です。幸い、父が公務員だったので、 定年退職後、すぐに亡くなりましたが、その遺族年金と、 不動産の貸付料金で、この25年間をすごして来ました。今、社会福祉協議会地域包括支援センターと接点が出来て、今後の生活の方向性を協議してます。母の有料老人ホームへの入所費用は年金で賄えますが、母なき後の私の生活はどうするか?それが、これからの課題です。

30才まで歯科技工士として働けてましたが、持病の鬱病が再発悪化して、それから25年間、働けていません。
今現在も、1日の内、16時間寝ていて、母もほぼ私のそばで寝て暮らしていまします。食事の準備や洗濯しますが、この1ヶ月は、私の持病が悪化して 、母のディサービスも中断し、熱中症で、ふたりして衰弱死する、と覚悟しましたが、甥の支援で、まだまだ生きています。
母の年金で2ヶ月の生活は賄えますが、私のパチスロ依存がでた時 、生活費を使い込み、生活が成立しなくなり、ふたりして、衰弱死しようかと、そんな 状況に追い込まれる、いや、私が自ら追い込んでしまうんです。 これは、母の介護ストレスが溜まると起きて、今回は、1日10時間、14日間、パチスロして、散財後は、心身が疲弊して、甥の食料支援で、ここまで、生きているのです。

パチスロ、みなさんは遊ばれますか?。私にとって、パチスロ自傷行為で、勝ち負けはあまり関係なく、今夜、財布を空にして、雨降る夜道を自転車転がしながら、増水した川に転げ落ちよう。そんな遊び方です。でも、なかなか川に転げ落ちること出来ず、 母の介護という仕事にしがみつき、まだ生きているのです。みんな、そうと思いますが、子供のまま、子供返りして、大人になれぬまま、8050を生きているのかと、そんな気持ちです。 ただ、私も14才の秋に眉間に『鬱』という一文字を烙印されましたから、精神疾患があります。それを、『召し』という、 神様からの賜物だと感じなければ、生きずらいし、 鬱病を生きることが、『仕事』と引き受けないと、生きていられま せんね。私は14才の秋に鬱病となり、2年間ひきこもりましたが 、その闇から救いだしてくれたのが、黎明にみた『青い鳥』 でした。これを、精神疾患の症状のひとつ『幻覚』、 と認識するか、神様の『救い』、と信じるかは、当事者の自由意思 だと思います。私はそれを『天使』だと信じて、ここまで、『 鬱病人生』を歩んできたと、思います。
私がパチスロと出逢ったのは、昭和62年の頃でした。熊本市内の 子飼橋近くにあった『大阿蘇』というパチ屋で、トロピーカーナ7X、という名前のパチスロでした。私は2年遅れで中学を卒業し、スクールカラーがウンチ色の高校に入学しましたが、中途退学して、大検合格、専門学校に入学した のは21才の時でした。中学で2年足踏み、大検は一度の受験で合 格しましたが、60才でガンで他界した父の3年間に及ぶ闘病期間 が、私の18才から21才までで、大学など進めず、仕方なく近所 にあった歯科技工士専門学校に嫌々入学卒業した訳です。

鬱病』ですが、20才から30才までは、あまりその症状に悩まされませんでした。歯科技工士として働けて所得をえて、 自動車も運転してました。巷では、ひきこもり、というと、就労経験などない、字も書けない 、計算も出来ないイメージあると思いますが、そうではありません 。鬱病人生40年の私が思うに、脳、の働きにムラがあり、 それが顕著であると『3年寝太郎』、モードに入ったら、 本当に3年くらい、あっという間に過ぎ去ります。 やっかいな病気だと、思います。

丘の上の中学時代の話から、今日の私の生活、40年近く飛びましたが、なかなか『鬱』という一文字を消そうとしましたが、 消せず、この年で、『鬱人生』を語れるようになりました。
みなさん、『ジャグラー』とか『沖ドキッ‼』を打ってて、告知ランプが変な光り方したこと、ありません?人が遊んでない、パチスロ機の『GoGo』とか『🌺』が突然ピカッた、とか。それは、パチ屋に棲む妖怪の仕業ですよ。私もパチスロ遊戯長いですが、その談義も、また、します。みなさま、しばらく、生きてみましょう。

55才ヒッキー親爺、母のう○ちを拾う

台風10号が日本列島に接近してますが、明治17年築の農家用住宅の我が家の倒壊が懸念されます。熊本地震で床のあちこちが沈みましたが、86才の母と今年の台風、回避出来るか?何故か、心配はしません。

トイレのスリッパが匂う、それが母の認知症の始まりでした。便器まわりにウンチをひとカケラ落としたのか、母はスリッパで自分のウンチを踏んでいたのです。平成29年のことですが、母を精神科受診させて、アルツハイマーと診断されました。私 は母の介護を一人でひきうけることになりました。幸い、母の妹が市内にいて、地域包括支援センターで、要介護認定の世話をしてく れました。柴田理恵似の叔母さんです👺近頃、ウンチを漏らした後、母のリハパンを始末し、介護用手袋をつけ、ウェットティッシュで母の肛門まわりをふきあげますが、55才で86才の赤子を授かった感じがします。慣れると、汚いとい う感覚もなくなり、神様はこういう形で、私を親の心情に導いてくださるのか?-そんな気持ちが時々します。親の介護を通し、私も大人になった気がするのです。

NHKの介護福祉番組をみますが、私の場合はまだまだ困難も軽く 、小さい、と感じる次第です。これから、私の鬱病糖尿病がどう悪化するか?、ここ十数年、病院 受診し治療してませんから、判断出来ません。8050の最中にい る人々は社会との接点をあえて切りますので、親子で衰弱死とかの 結末が日本の何処かで起きるのですね。私も1日の大半を母のそば で寝て暮らしてますが、ふたり、衰弱死する可能性もありますね。


沖ドキというギャンブル性の高いパチスロがあります。ある年のあるお店での話ですが、新台入替えの日に、50000円負けた後、 台移動すると一撃で220000円分のコインが払い戻されたこと 、ありました。私の居場所は自宅とパチ屋しかなく、パチスロで利 鞘を稼ぐことが、生き甲斐になってしまいました。『麻雀放浪記』 という映画ありましたが、社協の担当者も賭け事が好きで、 大学時代、プロの雀士を夢みたそうです。じゃ、みなさん、また🙋

55歳おじさん、ひきこもりの最中で、86才の母を入浴介助する。

台風が接近していますが、8050の皆さま、いかがお過ごしでしょうか?お彼岸をすぎて
、春花壇用の草花の種をまこうと思います。庭仕事は、心のお薬だと思います😸
車輪の下』という作品がありますが、私はドイツの文豪ヘルマン ・ヘッセという作家の人生に共感します。『地獄は克服できる』というヘッセのエッセイがありますが、『地獄』とは精神疾患みたい です。ヘッセの妻も、精神疾患であったと語られますが、病気も神様からの賜物だと感じる様になると、また、心病んでも、新たな人生の扉がひらく、そう信じないと、ひきこもり、という澱みの中で 、右往左往するだけで、光の世界に入れないと感じます。

平成29年、母は(現在86才)要介護2と認定されました。アルツハイマー認知症で、自宅介護が基本で、週2回のディケアサービスを利用して、今日までやって来ました。父は昭和62年、癌で他界しました。

私の持病で、被害妄想が強くなると、介護関係者との応対が苦痛となり、ディケアを中断することが、年に数回あります。今回は、7月からディケアを中断し、自宅だけで母の介護をしていますが、入浴介助も私がこなし、昨日、社協の担当者が家庭訪問されましたが、母の様子も確認されました。

私が働けなく、生活の糧は月に16万円の年金と、農地がありまして、その不動産を現金化して、母を施設入所させて、私が身軽になる、 という現況打開策です。母の施設入所費用は年金で支払えます。母なき後、私の生活をど うするか?私は自殺することを考えます。30才で鬱病が再発し 、この25年間のひきこもり生活の中で、所得と言えるのは、 パチスロで稼いだ利鞘、それしか見当たりません。この癖が、近年、生活を脅かします。パチスロについては、また、次回、 お話しします。

8050の最中のみなさん、 あと数年すれば還暦です。ひきこもり、を職業と考えると、もうすぐ定年退職だということです。自殺のトリガーをひくタイミング、 みなさんも、その時を探してきたと思いますが、風俗街のジャンポ ール鍵屋の八雲爺さんが言ってましたが、未来、希望は、この地球上のあちこちに、いくらでも落ちている そうで、それを、落ち穂とか言の葉、というそうです。 神様の贈り物は、気づきにくく、五感でとらえにくい。 探さなくちゃ、そんな気持ちです。

異人たちとの夏

ひきこもりのみなさん、9月になりました。ジルバップ(ソニーのラジカセ)から、竹内まりやの『セプテンバー』が聞こえる頃、 私の眉間の『鬱』はうずき始めました。鬱には周期があり、 私の場合、14才の頃も、55才の今も、その周期は変わりません 。

丘の上の中学3年生に17才で復学した私は、夏休み明けの県下一斉テストを受けた後に、また、長期の欠席となりました。季節の変わり目に、鬱はうずき始めると思います。
『異人たちの夏』という大林宣彦監督の作品ありますが、私は中央街(熊本のソープ街)のネオンの靄の隅で、あの夏、異界のドアノブを回してしまったのです。それが幻覚か現実かは、皆さまの判断にまかせます。精神科医の手で眉間に『鬱』という一文字を烙印された昭和57年の夏、少年の瞳に映った風俗街の夜色を、徒然にお話しします。

ジャンポール鍵屋のボイラー係、八雲という名前の爺さんは、売れない小説家で、安ホテルの風呂焚き係りで生活してました。眠れない夜、私はアパートをぬけだし、自転車で風俗街に出掛けました。ジャンポール鍵屋の地下室の片隅で、私は爺さんに薪を手渡すことが楽しみとなりました。『通夜の間』『よろず屋』『家庭訪問の間』『洗濯干し場』『おまかせの間』という5部屋があり、八雲爺さんの脚本によって、夜毎、おのおの部屋で、卑猥な男女の情交が絵巻物として描かれていました。

爺さんに、私は田舎でひきこもっていた頃の話をポチポチ、語りました。優等生の息切れ型不登校、これが教育委員会が私し下した評定でした。陸上競技の練習で半月板損傷し、その痛みで眠れなくなり、体重が40㎏以下に落ち、中2の中体連後に不登校になった私ですが、 今、思えば体育教師のおもちゃにされた、という思いです。 100㍍、200㍍、走り幅跳び、走り高跳、 たまたま学年でその記録が1、2番だったが故に、 陸上競技大会選手にかり出され、体力許容量以上の負荷をかけられ 、過労で倒れた。それが、不登校の原因であり、鬱の始まりでした。何事も無理は禁物です。
夜、8時すぎ、グラウンドでの練習を終えて、3㎞離れた自宅に帰る私の姿が父兄の目に留まり、少年の健康を心配した父兄の一人が、駅通りで医院を営む伯父に、その様子を伝えました。心配した伯父は、父母にその話をしに訪問しましたが、『先生に小言を言うと、内申書にひびく』、それが、母の返答でした。父は大正15年、母は昭和8年生まれですが、あの当事、金属バットで両親を殺害した事件がありましたが、昭和50年代、学歴信仰は田園地帯にも浸透し、『内申書』という切り札に、生徒も父兄も怯えていたことは間違いありません。

『星の王子様』という児童文学がありますが、幼少時代の記憶は人生の礎で、どんなパン種を心にまかれたのか?、それは、大切なことになると思います。ひきこもりの中で、『青い鳥』に導かれ、闇をぬけだした経験を話しましたが、私はそれを、神様が私の心にまいたパン種だと信じたいです。幻覚だとは、思いたくない。

八雲爺さんは顧客から手渡されたシナリオに朱を入れて、猥褻な絵巻物に仕上げようと獅子奮闘してました。目の底を光らせ、 原稿と格闘してました。その夜は、ジャンポール鍵屋の『 通夜の間』に、黒衣の弔問客が訪れ、丑三つの頃になって、 ようやく、遺影の前には、喪服の七菜さんと、 顧客である弔問客の二人の姿が、夏目蝋燭の炎にあぶられ、 畳の上で影となり揺れていました。遺影の中で、二人の関係を訝る故人。喪服の妻と部下の情交を、八雲爺さんは、夏目蝋燭の炎を巧みにつかい描いてみせたのです。

街ホタルの七菜さんは、7つの悪霊を持つ娼婦と呼ばれました。マグダラのマリアという女が聖書に登場しますが、あの夏、私は七菜さんにマグダラを感じました。その夜、七菜さんは黒衣を身に纏い、喪主という役柄でお客をひき ました。喪服の衿を深く抜き、その首筋ではねるのはおくれ毛でした。首筋 に手指をからめるその横顔は、女優の宮本信子を彷彿とさせました 。遺影の中の上司に、顧客の男は一礼すると、線香をたむけました。

『ニューシネマ・パラダイス』という、映写技師と少年の交流を描 いた作品がありますが、17才の私は、ジャンポール鍵屋という婬売宿の風呂焚き助手と して、いくつかの卑猥な絵巻を、鍵穴から覗いたのです。

 今日、社協の8050担当のAさんが家庭訪問されました。母の施設入所について、私の今後の生活について語り合いました。話した後、廊下の綿ホコリが目に留まり、箒がけし、クイックルワイパーをかけました。人と繋がると、元気が少しでますが、雲に閉ざされた不毛地帯に 、忘れていたように、雲の切れ目から射す太陽の光みたいで、訪問客と話すということはヒナタボッコで、風がふくと、人が去ると、また、ひきこもりの棲みかは闇に閉ざされてしまい、時が止まって しまいますが。みなさん、体内時計壊れて久しいと思います。ドイツの文豪に、トーマス・マンという作家がいて、『魔の山』という作品があります。病気、障害を持ち、山の中のサナトリュウムに隔離され生活する 人々の物語ですが、ひきこもりも、 自宅に隔離された人々であると、私は感じます。今、 1年が1ヶ月という時の感覚で過ぎています。これは、怖いことで 、社会から剥離したひきこもり人は、社会の時の歯車から排除され 、やがて、食欲という本能も薄れて、最後は、衰弱死する。 そんな感じがします。
ひきこもりも皆さん、社会の何処かとは繋がりましょう。つかの間でも、社会の光、人と言葉を交わせましょう。じゃ👋😃